古里プロデューサーの「宇宙をかける少女」以前の代表作は?
古里■制作進行時代
1982年12月日本アニメーションにて制作進行、映画「超人ロック(84年3月公開)」、テレビ「不思議の国のアリス」「ミーム色々夢の旅」
1985年スタジオジブリにて、制作進行、映画「天空の城ラピュタ(86年8月公開)」
■設定制作時代
1987年サンライズにて、制作進行&設定制作、「ミスター味っ子(50話から設定制作)」、設定制作「勇者エクスカイザー」
制作デスク「太陽の勇者ファイバード」「地球の勇者ダ・ガーン」「勇者特急マイトガイン」「勇者警察ジェイデッカー」
■アシスタントプロデューサー
1994年アシスタントプロデューサー「黄金勇者ゴルドラン」
■プロデューサー
1995年よりプロデューサーとして。
1997年OVA「新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA・SIN」
1998年「星方武侠アウトロースター」
1999年「星方天使エンジェルリンクス」
2000年「GEAR戦士電童」
2001年「激闘!クラッシュギアターボ」
2003年「出撃!マシンロボレスキュー」
2004年「舞-HiME」
2005年「舞-乙HiME」
2006年OVA「舞-乙HiME Zwei」
2007年「アイドルマスター XENOGLOSSIA」
2008年OVA「舞-乙HiME 0〜S.ifr〜」
2009年「宇宙をかける少女」
制作進行時代、設定制作時代、そして、アシスタントプロデューサー時代、プロデューサー時代となります。
さて、代表作としては、「舞-HiME」でしょうか?
単純に作品として好きなのは、「電童」と「マシンロボレスキュー」です。それは、子供向けとして、本当に一生懸命に作った、ある意味やり切った感が強い作品だからです。
「宇宙をかける少女」での役職はプロデューサーですが、どのようなお仕事だったのでしょう?
「そらかけ」ならではの作業などはあったのでしょうか?
まず、プロデューサーってなんなのか?
有名なのは、映画界のステーィヴン・スピルバーグ、音楽界だとつんくとかの名前が挙がると思います。
予算、スケジュール、企画内容などほぼ全てに渡って指揮を執る人かしら。
となると、わたしもその端くれですので、近いことはやっています。
「舞-HiME」、「宇宙をかける少女」などはオリジナルアニメですので、その企画から始めて、予算、制作スケジュール、スタッフ選び、キャスト選び、音楽家選び、商品化などにほぼなんらかの形で関わっています。
その関わり方は千差万別です。。
わたしは、シナリオの打ち合わせもほぼ全て出ていますし、キャラデザイン、色味なども最終的ジャッジはしています。作曲家さん、声優さんも決めることが多いです。
「宇宙をかける少女」ならではの特殊なこと……、って考えましたが「舞-HiME」などと何ら変わりなく、普通(ここポイントですが)に作りました。
企画の最初に思い描いた「宇宙かけ」のイメージは?
古里最初に企画メモを書いたのは06年だったと思います。その年末には最初の企画メモが出来ていました。
その時に考えた企画は、放映された『宇宙をかける少女』とはかなり違ったものになっています。
オリジナル作品ゆえの紆余曲折があって今に至る訳です。
ただし、最初から残っているのが「スペースコロニー」を舞台にした作品であり、「少女が頑張る!」という事なんです。これは「舞-HiME」から何ら変わっていません。
主人公の少女が運命に立ち向かっていくってことが好きなのです。そして、必ず乗り越えていくんですが、その姿にぐっと来ます。
『機動戦士ガンダム(79年)』をリアルタイムで観ていた僕などの世代には、あのスペースコロニーが浮かぶ「絵」のワクワク感、センス・オブ・ワンダーは強烈に残っています。宇宙って、神秘的であり、夢が広がっていました。
そこで、今またその宇宙を舞台にした作品を作りたいって思ったのも事実です。
もしかしたら、今の若い方々は宇宙に夢とか神秘とか、ワクワクが薄いかも知れませんが、でも、でも、わたしはそんな空間が宇宙なのです。
また、19歳の頃に読んだジュブナイルSFの影響もあると思います。アニメ業界に入る以前に読んだ小説なのですが、スペースコロニーを舞台に、子供たちが冒険し、活躍する内容で、その本を無くしてしまったことを後悔しています。
タイトルの元ネタでもある小説『時をかける少女(67年)』を原作としたNHKドラマ化作品『タイムトラベラー(72年)』が大好きですし、わたしにとってSFジュブナイル小説は青春時代のバイブルです。
作品には出なかったけれど、トンデモで没なアイデアなどは?
古里秋葉は、生徒会の会長であり、獅子堂グループの企業の総帥って言う設定はなくなってしまい、とっても残念に思っています。
そして、他人のために奔走し、事件を解決、そして他人のために泣けるような少女でした。
で、とんでもメカを作っては、実験と称し、いつきを乗せて宇宙に放り出し、飛ばす! みたいなのりでしたが、これも是非見たかったなと思います。
作品になった時点で、思いがけず「弾けた」のは?
古里小原監督のアイデアの思考するスペースコロニー「レオパルド」です。
誰の手を借りるとかではなく、監督自身が生み、育て、そして福山 潤くんの声で「あの」レオパルドの完成です。
「ここが良いじゃん」と思わずニコニコしてしまうのは?
古里不運なミンタオです。
いやぁ、不幸な役が似合う小清水亜美を思い出します。
ちなみに、「舞-乙HiME」でのニナと言い、不運なキャラのキャストとしては、天下一品の声優だと思っています。
このミンタオが出てくると必ず不幸なことが起こるので、ニヤリとしてしまいます。
あとは、空気を読まないいつきのセリフの場面ですね。
「宇宙をかける少女」を象徴する場面だと思うのは?
古里スペースコロニー同士の戦いです。
これは、今まで誰も見たことのない映像ではないでしょうか?
あと、秋葉がレオパルドヘッドにキックするシーンです。
プロデューサーとして「楽しかった」のは?
古里どの作品を作ったときも同じ事を言うのですが、「楽しかった」ことは世界で一番最初に、作品を見ることが出来ることです。
つまりお客さまの代表として、最初に「出来上がった映像」を見ることが出来るって言うのが、贅沢な楽しみだといつも思っています。
では、プロデューサーとして「大変だった」のは?
樋口大変だったことは山のようにあります。
多分ここには書けません。
それに、終わればその「大変」も思い出に変わってしまいますから。
しかし、一番大変なのは、オリジナルアニメの要である「シナリオ」の作成時の打ち合わせは大変でした。
これは、どの作品でも一番大変で、一番気も使い、知恵も使い、アイデアも出し、そりゃ思い出しても泣きたくなるくらいしんどいですね。
だって、秋葉がどんな子なのか? をひとつずつ考えて、そして、使う、使わないと判断し、深み、厚みを出してより架空の子を現実にいるかも知れないって女の子にして行く作業は本当に大変です。
これを、他の全てのキャラ、メカ、美術設定にも充てて考えるのですから、ライターから監督とみんな苦労しています。
でも、これが醍醐味って言えば、そうなのかも知れません。
「宇宙をかける少女」は、なにをしようと思って、なにができた作品でしたか?
樋口繰り返しになりますけど、「宇宙をかける少女」は、「スペースコロニー」を舞台にした作品であり「少女が頑張る!」という作品なんです。
主人公も少女たちに関しては、「舞-HiME」から何ら変わっていません。運命に立ち向かっていくってことが好きなのです。そして、必ず乗り越えていくんですが、その姿にぐっと来ます。
あと、スペースコロニーが浮かぶ「絵」のワクワク感、センス・オブ・ワンダーです。
その昔、宇宙って、神秘的であり、夢が広がっていました。
あ、上に書いたことと同じ事書いてしまいました……。ゴメンナサイ。
でも、今、その宇宙を舞台にした作品を作りたいって思ったのも事実です。
秋葉たちは、それこそ宇宙を走り抜けて頑張ったと思うんです。
わたしは、そんな女の子たちを深夜のテレビで見て、癒されるんじゃないかと思っています。
学生さん、若いサラリーマン、若いお父さんたち、「明日も頑張ろう、仕事も大変だけど、生きることが大変だけど、やっぱり頑張るしかない、走るしかない、ゴールがどこなのか分からないけど、走ろうよ」、って感じで秋葉たちのメッセージを届いたのではないかと信じています。
わたし自身、たまに走ってみて、すぐに立ち止まっては息があがってふうふうしているんです(笑)。←年令だろって突っ込みが入ってしまいました!
若いときは、遅いなりに走れたなあ、と思うのですが、それでも、改めて今の自分でも走ろうと思うのです、そう、秋葉たちのように……。
わたしの前を駆け抜けて行く、秋葉たち、ありがとう。